次元の狭間でモーゼ

3次元ドルヲタ2次元二次創作爺がしゃべる

わたしの悲しみはわたしだけのもの

これは三次元のアイドルを応援しながら二次元の二次創作をしているやつのちょっとしたつぶやきだ。

湯船で暇してるときとか、トイレで便秘とドンパチやってるときとかに読むのがちょうどいいかもしれない。

ただし書いている人間はこれを書きながら泣いているので、マジしんどいもう無理状態であることはご理解いただきたい。

もともと二次創作の畑の人間だったクソふじょしが、とある韓国のアイドルにぶちはまり骨の髄までドルオタになるところから全ては始まる。

出会いは2010年の夏頃だったように思う。K-POPを嗜んでいた友人から洋楽好きなら多分好きだと思うよ、と軽く勧められた5人組をあれよあれよという間に深く激しく大好きになった。仕事が精神的にきつかったこともあったと思う。仕事だけしていたら心が持たなかったのだ。pixivなんかない時代から二次創作を読み漁り続けていた古の腐女子は、そちらで培われた検索能力や持ち前の適応能力であっという間にKドルの追っかけ方を把握する。おそるべき学習速度であった。ネットに張り付き毎日情報を欲しがったし、可愛い子たちの顔を見ていれば生きる気力も湧いた。残業で泣きながら帰る日が続いてもPCや携帯をひらけば彼らがそこにいて、彼らの音楽が聴きたい時にイヤホンから流れてくる。おかげで毎日頑張ってこれた。戦うわたしの拠り所だったのだと思う。ワンマンディレクターが社長の事務所でデザイナー(というかほとんどオペレーター)をしていたわたしは、彼らを見ていて自己実現とは何か、などということを考え始める。自分の本当にやりたいことをやるためにはここにいてはダメなのではないか、と結局別の事務所に移りアートディレクターを務めるようにまでなった。我ながら本当に頑張ったと思う。しかし、この自己実現に伴ったのが「ドルヲタとしての活動を自粛する」ということだ。

移った事務所は年中忙しかった。MAXの繁忙期は毎日終電だったし、本当にやばい時は終電にも乗れずタクシーで2時3時に帰宅することもあった。それでもこの業界では帰れるだけマシという呪いのような言葉のおかげでわたしはモチベーションがある日突然プッツリ切れるまでこの仕事をぜいぜい息を切らしながらすることになる。

当然だが二次創作はほとんどできなくなった。いやできたろ、って1mmも思わないまじで無理だった。帰ってPC起動しようと思わない。PC見たくない。とにかく寝ないと明日の仕事に支障が出る。描いたって鉛筆で落書き程度。漫画も文章もかけなかった。その頃はもうスマホだったので、眺めていれば情報が手に入るツイッターでアイドルのその日の様子をみてハァァァァァ可愛い今日も可愛い毎日可愛い生まれてきてくれてありがとう〜って拝んで寝る日々だった。5日に1回くらいはもうただただ可愛いだけで涙が出た。疲れていた。そうまでして働いたのは、少々頭がおかしいかと思われるかもしれないが、やっぱり中心に彼らの輝きがあったからだ。どんなにつらい仕事でも彼らを思えば強くなれた。自分でこの道を選んだのだから、強くあるべきだと、そう思えた。

彼らはアーティストとして、アイドルとしてぶれることがなかった。事務所の意向を常に汲み彼ら独自のスタイルを貫く姿はずっと真の表現者だった。新しいアルバムが出るたびにこちらの期待を大きく上回るものを見せてくれる。同じ時代に生まれたことに本当に何度も何度も飽きるほどに感謝した。わたしが魅了された理由は、その音楽性、ダンスパフォーマンはもちろん、アートディレクターのアートワークにもある。斬新で彼らにふさわしくも独自性の強い世界をMVやアルバムのフォトブックに毎回これでもかと詰め込んでくる。それをぶん投げるディレクターも、それが許される隣国の感性も、受け止め自分たちのものにする彼らも常にすごかった。

端的にいうとわたしは刺激されていたのだ。そしてその刺激により常にデザイナーとしてディレクターとしてプロの仕事をしたいと思っていた。ずっとずっと気持ちに余裕がなかったのだ。急に日程が発表される韓国での新曲のリリースや、それに付随する本国での活動、本国でのライブスケジュール。それに自分のスケジュールを無理やり合わせることもできたかもしれないけれど、手元の仕事がおろそかになるのも嫌だったしフライトやライブのチケッティングに上手く時間が割けなかった。これに関してはもっとうまくできたと今となっては思う。大好きなのに、あまりに大好きすぎて、自分の仕事がおろそかにできなくなるという謎の現象。わたしはわたしの場所でわたしの仕事をするんだ、それがわたしのスタイルという謎の決意。あと、これだけ働いていたのにお金がなかった。時間もなけりゃ金もない。地獄である。つまり彼らに憧れ己の仕事を突き詰めようと思えば思うほどにドルヲタとしての活動は俄然制限されたのだった。いやもうまじ毎日遅くまで頑張ってんだから休んで行けばよかったじゃん!!!って今となっては思う。お金なんか実際どうにでもなったろと本当に今となっては思う。当時は猪突猛進で不器用だったのだ。

活動が制限されると、ドルヲタとしての居心地が悪くなる。「今度のソウルコンいく!?」と訊かれ「仕事が」「お金が」そういえば「その程度か」という見えない圧がかかる。「わたしだって行けたら行きたいけど無理なもんは無理」理論は通じない(そして多分実際無理じゃなかったしただわたしが真面目すぎただけである)。瞬発力行動力経済力が全て「アイドルへの愛の大きさ」に直結している。わたしは癒しであったアイドルのことでも疲れた。ファンに過激な子も多くフォロワーの多い友達にかげぐちぶっ叩かれてるのをたまたま目撃したのもあってヘトヘトに疲れてツイッターのドル用のアカウントを消し隠居を始めた。アイドルはずっとずっと大好きだったがもっと自分のペースで応援したかった。愛の大きさは自分で決めたかった。自分で自分を苦しめずにできる範囲で楽しく愛を送り続けたかったわたしはネットにへばりついて情報をひたすら収集する生活をやめた。

それが3年ほど前の話である。

前ほどべったりではなくなったが、日本のファンクラブから常に情報は届くし、みたい時には閲覧垢を除けば好きなだけ情報を得られる。日本のアリーナツアー、ドームツアーには行けるだけ行ったし、本国で新しいアルバムが出ればその活動を追うなどマイペースに楽しくやっていた。別のことがきっかけで、この短い人生絵をもっとたくさん描いてできるだけ悔いなく死にたい思ったのであれだけ意地のようにしがみついていたデザイナーも半年かけてやめた。結局7年頑張った。これもわたしの自己実現の一つなので心にはもちろん彼らがいる。事務所を辞めてからは自由な時間ができて他人を呪うことも減った。2017年、本厄だったが思いの外いい一年だった。

 

ところがその年末に思わぬ悲報が飛び込んできた。

わたしが何より愛している5人のうちのひとりが、この世界を旅立ってしまった。日本のワイドショーなどでも報道されていたのでご存知の方も多いかもしれない。

SHINeeのキム・ジョンヒョンさんだ。

第一報が入りめちゃくちゃに取り乱した。所属事務所の公式発表が出ても全然意味がわからなかった。今もジョンヒョンのいない世界というものがなんなのかよくわかっていない。それでもこうしてどうにか一つの記事になにかまとめておきたいと思ったのは、先日2/17、2/18と京セラドームで行われたライブに参加したからだ。

このライブはジョンヒョンのことがある3日前に発表されたツアーで、デビューして10年となる節目の年にその集大成を、そしてリーダーのオニュが2年兵役に就くためその前に最後に5人でライブをという名目のものであった(直近のドームツアーではリーダーのオニュがいなかったため)。当然予定通り行うのか中止にするのかはすぐに保留にされた。とてもじゃないけれど無理だろうと思ったし中止でよかったし、もし大人の事情で、なんてことがあるならお金なんかいくらでも払うから中止にしてあげてほしいと本気で思っていた。けれど結局、ひと月も経たないうちにメンバーのコメントと共に決行することが発表された。これに対しては本当にいろんな意見があったと思う。特にジョンヒョンを一番に愛していた人たちはとてもじゃないけれどいけない、とそんな気持ちになっただろうと思うし、もっとたくさんいろんな気持ちが渦巻いた人がたくさんいたと思う。わたしはというと4人がやると決めたのだったら全力で応援したかった。大人の事情への懸念はまだあったけれど、実際行ってみたら本当に4人の意志だったことがよくわかった。ジョンのお母さんの絶対に諦めないでほしいという言葉も大きく4人の力になったのかもしれない。今この時のみんなのコメントを読み返して泣いてるけど、本当にこの言葉通りのことをやってくれて、本当に立派でとっても頑張ったよね。短い準備期間でどうしてこんなにできたの?って思うくらいにたくさんの想いを込めてくれたことに感謝しかない。

 

この記事をこういう風に書くことにしたのは、気持ちというものは人それぞれあって、それぞれがその人だけのものだと思ったからだ。わたしは今は二次元と三次元の間にいて、そのどちらも大好きで行ったり来たりしながらも、どちらかというと二次創作していることもあり二次元の方がおそらく比重が大きい。なのでずっとジョンのことをどう悲しんでいいのかわからなかった。だって骨の髄までSHINeeだったときと今のわたしは明らかに違うのだ。お前にそんな資格あんのかよとずっと思っていた。けれどライブに行ってギャンギャンに泣いてそんなんどーでもええわいとようやく思えた。わたしは悲しいのだ。多分ずっと悲しい。「悲しい」や「さみしい」がどっかに行くことは多分ない。乗り越えるというのもなんか違う(こうなって初めて知ったことだが、今までに経験してきた家族や親族、恩師との今生の別れとも自分にとっては随分と違うものだった)。多分ずっとずっとこの気持ちと寄り添っていく。わたしがわたしの愛の大きさは自分で決める、と決意して彼らの愛し方を変えた時と同じように、わたしの悲しみの大きさだってわたしが決めていいはずだ。それについて誰がどう言おうとどうでもいいなと思った。そういうライブだったのだ。どういう悲しみを抱えた人も包み込むような。そんな。

その理由のひとつに今まで見たことないメンバーの表情があったかもしれない。リーダーのオニュは初日の一番初めの曲で見たこともないくらいに泣いた。歌えなくなるくらい両目からボロボロ涙をこぼして顔を歪めて、自分が歌うパートが飛んでしまったり、そんなこと本当に初めてだった。末っ子のテミンは泣かない子だ。嬉し泣きする人に「嬉しいのにどうして泣くの」って思っちゃうような子だ。彼も成長とともに嬉し泣きを覚えたが、今回悲しくても泣くのを一生懸命我慢していた。ステージに出てきた時から目を真っ赤にしてうにゃうにゃと口をへの字にして涙を流すまいとふんばっているなんてこと、今まで一度もなかった。いつもはお目目のとろけるようなビッグスマイルをたくさんたくさんこれでもかというほどに振りまくミノくんはずっと表情が固いままだった。ダブルアンコールでは何かが決壊するみたいに涙をこぼしていて、あんなミノくんも見たことがなかった。ジョンヒョンと争うくらい泣き虫のキーくんは逆にとっても泣くのを我慢して最後の挨拶も言葉を切りながら頑張ってしっかりと喋ってくれた。キーくんが最後のあいさつのとき泣くといつも一番に駆けつけるようにしていたジョンのことを思い出して、ああ、そういえば東京ドームでも泣いてるキーくんを抱きしめに行ったと思ったらジョンの方がわんわん泣いていたこともあったなあなんて。普段はもっともっと頑張りますとなんの淀みもなく伝えてくれるおきいちゃんの、あんなに苦しそうな頑張ります、は初めて聞いたよ。もう頑張らなくていいって思った。各々がステージの上で苦しんで戦っていた。

後からレポで見たんだけど、スタッフさんたちも泣きながら頑張ってくれていたそうで。初日はアリーナでわからなかったのだけれど、2日目はみんなが言ってたみたいにライブが始まる前にめちゃくちゃでっかい「オオオオオオーーーー!」って声が聞こえて・・・本当に一丸となってこのライブを成功させてくれようとしていたんだな。ありがたいことですよね。あの空間にいた全員がジョンヒョンを感じていたんだなあと思うと、本当にとてもあたたかくて幸せなことで。色々違う想いを抱えているであろう人々を色々な演出で救いあげてくれたようにも思う。すごく難しいことだったはずなのに色々考慮してくれたのかなとか。

てっきりもっと「もうジョンヒョンはいない」って突きつけられると思って足を運んだので、あれ?思った以上に・・・いるな?ってなって。いないことでジョンヒョンを感じるという不思議なことが起きましたよね。当たり前なのだけどジョンのパートは4人に振り分けられていて、初日、曲によってはビックリするほどにそれぞれの歌声がほどけてバラバラにとっ散らかっていてあ〜これをまとめていたのがジョンだったんだな〜とか。それぞれの歌い方や声質に合うであろうパートを振り分けられていたのを聞いて、これを一人でやっていたのがジョンヒョンというボーカリストなのか〜とか。最近ではすっかり完成されたパフォーマンスばかりを見せてもらっていたので逆に新鮮だった。それでいいって思った。けど2日目は、もう結構修正されてきてて、プロフェッショナルかよと。ダンスのフォーメーションの変更、短期間での調整大変だったと思う。けど初日におや?と思ったところは2日目にはやっぱり断然よくなってて、やっぱりプロフェッショナルかよと。5人でドームした時の動画もたくさん使ってくれて、今との対比に悲しくもなったけど、あんなでっかいスクリーンでまたジョンの笑顔がたくさん見られてわたしはとっても嬉しかった。ねえ本当に可愛いしかっこいいの。どうしていないの?

 わたしが最後に見たのは彼の泣いた顔で、2017年9月24日の京セラドームでのことだった。その時のドームツアーはオニュがいなかった。なんかのフラグかなっていうくらいにみんなが「次は絶対に5人で」って言うから。次は完全なパフォーマンスをお見せしますって言うから。5人でSHINeeですって言うから。わたしは本当に怖くなってやめてやめてって思ったのをよく覚えてる。

 

こうなって知ったことだったけれどジョンヒョンはうつと言う大きな病を抱えていて、それがいつからなのかはわからないが、わたしはそんなことにはちっとも気がつかなかった。彼が強い意志でそうあろうとしたのだとも思うが結果的に「アーティスト」「アイドル」としての彼の表面だけを愛していたのかと自分にがっかりした。わたしもうつ病パニック障害を患ったことがあるからだ。今でもパニック障害はどこかに潜んでいるようで、体調が悪かったり精神状態が良くないと電車やエレベーターには乗れない。吐き気動悸息切れめまい過呼吸を起こす。歩道橋とかも怖くて歩けなくなるので、逆にバロメーターになっていて、そういう時は無理をせずしっかり3食摂ってよく寝る、とかのルールができて自分をコントロールができるようになった。前述のワンマン社長のデザイン事務所をやめたきっかけの一つにこの病気たちがある。わたしの症状は比較的軽度のものでなんなら病院に行ったから名前がついた、レベルだったかもしれない。それでも薬を飲んでいないと会社に通ったりなどの日常生活に支障を来たす日々がしばらく続いた。ジョンヒョンがずっと前から夜眠れないのはみんな知っていたし、けれどラジオや作詞作曲もやっていたから夜行性なのかななんてわたしは思っていた。馬鹿野郎である。

 

いつか私たちファンが「いつも花の道を歩かせてあげる」と彼らに伝えたことがある。

彼らは「一緒に歩くよ^^」と応えてくれた。

すごく幸せなことだと思ったし彼らを好きになってよかったと思った。

けれど、その花の道が大きな負担だったこともあるんだろうなと今回のことで強く思った。

花の道なんか歩かなくていいし、どんな道でもジョンがいいと思った道を歩いて、生きてさえいてくれたらもうなんでもよかったのに。

毎日そう思う。

 

けど、どうかな。あっちに行って救われた?気持ちは楽になった?あの日韓国はとても寒くて、まだ公式の発表がなく真実がどこにあるのかわからなかったとき、あちらのペンちゃんたちが「今日はとても寒いよジョンヒョン、早く帰っておいで」と言っていたのを毎日思い出す。これからも寒い日には思い出すんだろうな。今はあたたかいところにいるといい。少しでもこの世界いたときの苦しみから解放されているといい。


それでもやっぱりジョンヒョンのいない世界はいやだ。ジョンヒョンのいる世界がいい。ライブが終わってからというもの、12/18から告別式が終わるまでの3日間みたいにずっと涙が出る。けどあの時の涙とは違って、これはいないことを受け入れたから出る涙っぽい。いないことを受け入れて、それでもまだいないのがいやだって言ってる。だって前を向かなきゃなんてライブ行くまで微塵も思わなかった。前ってなんだよ、どこが前だよ、なんで前向かなきゃいけないんだよって感じだったし、ずっとよくわからないままがよかった。けじめなんかつけたくないし、ずっとずっと理解なんかしたくなかった。けど、ライブに行って思ったよりジョンがそこかしこにいて、ああ、いないけど、いるな、やっぱり5人だなって思えたから、いないことも受け入れられたと思う。

4人があんなに苦しみながら立ち上がったのに、前?どこだよそんなのとか言ってる場合じゃないよね。

いつだって目の前のステージにSHINeeがいて、じゃあもうそこが前だから、わたしはやっぱり今までと変わらず前だけを見て彼らをしっかりと見て応援しなくては。

 

この先どうなってもいいと思ってるんですよ。4人のしたいようにしてくれたらいい。歩きたい道を歩いてくれたらいい。全てを全力で支持したいと思う。

 

けど頑張るって言うなら声が枯れるまでペンライト振って声援を送る。この2日みんな本当によくがんばったって言いたい。あと東京公演2日あるけど、わたしはいけないから大阪からエールを送る。花の道がいいなら私たちがいくらでも作る。一緒に歩こうって言うならどこまでも一緒に歩く。

 

みんなそれぞれの悲しみがあってその形も大きさも様々で、他の人の目に見えないから、自分で大事にしてあげてほしいと思ってこれを書いたよ。無理に押し込んだら壊れてしまうってせんそばでも言ってるし(せんそばて)

わたしはこんな体たらくで、そんなんファン失格っていう人もいると思うけど、やっぱり悲しいものは悲しくて、けれどその悲しみの全てを誰かと共有できるわけじゃないと思うから、寄り添えるところは人々と寄り添いながら、自分で大事にしながら抱えて生きていきたいです。

 

わたしの悲しみはわたしだけのもので、あなたの気持ちはあなただけのもの。

他人も一緒だと思わないでほしいし、何かを押し付けてもいけないかなと思ったり。

いろんな悲しみ方もいろんな苦しみ方もあると思う。

みんな自分の気持ちを大事にして、同じように誰かの気持ちも大事にしてほしい。

 


 

 

最後にわたしの大好きなSHINeeの曲を貼っとく。

初見の方なんかはジョンヒョンの感性が遺憾なく発揮されている歌詞も一緒に見てほしい。

 

SHINee 샤이니 'View' Dance Edit Ver.

youtu.be

SHINee 『View』 歌詞 和訳 カナルビ|K-POPに染まる日々

 


まだやっぱり、お疲れ様、よくやったって心の底からは言えない自分がいる。ほんとうに苦しいなかで、わたしたちを救う歌声をたくさん届けてくれてありがとう。これからも大事にしていく。

i love you.